■活字メディアの危機
2012年3月30日、
毎日新聞が「記者の目:3年後のスポーツ新聞」とするコラムを掲載した。
新聞、雑誌などの活字メディアは今、かつてないほど厳しい状況に直面している。
という一文で始まるコラムである。ここでは主にスポーツ新聞についての記者の所感が書かれている。
image from
A conflict of two different ways of using a newspaper / Takashi(aes256)まず、「
活字メディア」は危機に瀕しているのだろうか?
記者は、活字メディアはネットやテレビの「
速報性」に対抗できないとしている。
そもそも、「
テレビ」と「
ネット」を一括りにしている時点で認識に問題があるのではないだろうか。
記者はネットについて言及している。
若者の活字離れ、インターネットやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、ツイッターなどの急速な普及。
このようなネットの武器が速報性なのだろうか?
ネットの
最大の武器は速報性ではなく、同じ
話題を共有できるコミュニティを作ることができるというところにある。
そして、ネットもまた「
文字メディア」が中心であることは変わらない。記者が上げているSNSであっても基本は文字だ。
■ネットで話題になるのは既存メディアの報道
そしてネットのコミュニティーは既存メディアから供給される情報なしで成立するのは非常に難しいということも事実である。
日々のグーグルトレンドワードなどを見ていればそんなことは簡単にわかる。ツイッターのトレンドワードも同じだ。既存マスコミで大きく取り上げられたからこそ、ネットで話題となるのである。
テレビ番組や新聞で取り上げられネットで話題になる。スポーツ新聞の記事がネットで話題となる。
既存マスコミからの一方的な情報の流入。これがネットの現状だ。
逆にネット発のニュースが既存メディアに取り上げられる例もないではない。
たとえば、「
さいたさいたセシウムがさいた」の件は当サイトが報道し、既存メディアへと広がっていった。しかしこのような例はレアケースである。
(
「さいたさいたセシウムがさいた」-埼玉日教組の講演会タイトルはこれ!?片山さつきも唖然)
現在、情報の大きな流れは明らかに既存メディアからネットへと流れている。そこで問題となるのは「
速報性」でも「
情報の質」でもない。
同じ話題を共有できるコミュニティーの場が有るのか無いのかだけのことだ。
スポーツ新聞を含め既存マスコミはネットの敵ではなく、情報を提供してくれる「
餌」になっているのである。
このタダで手に入る餌でコミュニティーに参加できればいいという人は、「
速報性」も「
情報の質」気にしない。
構造の時点でどうにもならない問題である。「情報の質」が改善されてもその話題がネットに拡散し、ネットの中のコミュニティーで完結するのだ。
その情報をネットで見た人が、記事が書いてあるスポーツ新聞を買いに行くだろうか? 雑誌ならばまだ可能性はあるが。
人より質のいい情報を早く入手したい人はスポーツ新聞を手に取るかもしれない。しかし、コミュニティーに参加して楽しめればいいという人は、そのようなことではスポーツ新聞を手にしない。
オピニオンリーダーを目指していくのはいいが、スポーツ新聞を読まないネット住人にとっては、それは質のいい(?)餌を提供してくれることを目指すというのと変わらない。
【
naka773】
記者の目:3年後のスポーツ新聞=藤山健二 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20120330k0000m070113000c.html