■3月13日には炉心溶解を前提にしていた
2012年5月27日、
枝野幸男経産相が原発事故調査委員会に参考人招致された。
同相は、
福島第一原発事故においては国民に対し情報発信を行っていた当事者である。
この場で、
福島第一原発事故に関し
枝野幸男経産相は記者の質問に対し「
3月13日には炉心溶解を前提にしていた」と回答した。
2:22:38くらいから~
「私ども国民が、炉心損傷や格納容器の損傷の可能性を知らされたのはいつの時点だとお考えになっておりますか?」
「炉心損傷の可能性は、先ほど申し上げましたように13日の午前中の会見で記者のお尋ねに対してですが、申し上げております……それで…いろんな、あの、なんていいます、色んなデータがその時間帯に着ますので、それほど損傷していないのではないかというデータも上がってきて、そういう趣旨のことを申し上げた段階もありますが、基本的には炉心といいますが燃料棒がある程度溶けている、その程度が全部溶けているのか、どうなのかということは、分からないけど、溶けていることについては、申し上げてきて、私の……私のレベルでは申し上げてきていますし、あの、それから放射性物質が漏れているということについても、これも13日くらいから、そのことを前提にお話をさせていただいていますが、ただ、どれくらい溶けて、どれくらい漏れているのかということについては、まさにはっきりしないと、その上でお話をしております」
「最終的に私どもが政府からそのことを聞いたのは6月7日ではないかと思うんです」
枝野幸男経産相は3月13日の時点で国民に炉心損傷、融解、放射性物質の漏えいの可能性を伝えたと回答した。
しかし、国民が福島第一原発の
炉心溶解を知ったのは6月7日である。
■「デマ野郎」の異名が伝承された
この情報がネットに伝わると、『「デマ野郎」の異名は、今日を持って上杉隆氏から枝野氏に伝承さえました!』というツイートがなされ、ジャーナリストの上杉隆氏がこのツイートをリツートした。
【終了なう】枝野さん、あうとー。記者クラブも、あうとー。メルトダウン確認、2011年6月7日から約一年かかりました。 RT @titanhikari 「デマ野郎」の異名は、今日を持って上杉隆氏から枝野氏に伝承さえました!>「枝野:炉心損傷を3月13日には国民に伝えていた。」
上杉氏は『【終了なう】枝野さん、あうとー。記者クラブも、あうとー。メルトダウン確認、2011年6月7日から約一年かかりました。』と付け加えリツートを行っている。
とにかく、政府の危機に対する情報集約と公開のあり方には疑問の残る会見であったことは確かである。
【
naka773】

Twitter / uesugitakashi: 【終了なう】枝野
https://twitter.com/uesugitakashi/status/206634645742292992